山中さわお 2015 New Year Interview
──そしてthe pillows自らのヒストリーを振り返るということで「Do You Remember The 1st Movement?」 「Do You Remember The 2nd Movement?」と題して、第一期、第二期の楽曲のライブを行いました。これはどのような経緯で企画されたのですか。
これは自分で言い出したことです。要するにね、“アニバーサリーに、20周年のときみたいにいろいろ企画を入れましょうよ”と言われ、もうやってないことってないじゃないですか。20周年のときもニルヴァーナのMTVのアンプラグド・ライブのオマージュみたいなやつをやろうかって言って、しかもフォーキーな方にいかなくてオルタナティヴな感じで行こうってやったり。何か特別なことをやろうと思ってもなかなかなくて、でもひとつやってないことがあるなと思って(笑)。オレたちの歴史から封印されている短い第二期。“第二期はやってないな”ということになり、結構、演奏スタイルが違うじゃないですか。自分の体から抜け落ちてしまったものをもう一回拾い集めるというか、もう一回注入してやるので、重い腰を上げたという感じだったかな。
第二期が先に決まって、その後に別な流れから上田(健司)さんとしゃべってて、the pillowsとまったく関係ないことで上田さんと一緒にイベントに出る話があって。“久々にやりましょう”なんてウキウキしてたら、その話が無くなって、“また今度改めてゆっくりちゃんとやりましょうよ...”と言ってるうちに“まてよ”と思って(笑)。“ちょっとまてよ、第一期やればいいんだ”みたいな。そしてマネージャーから“第一期といえば(会場は)新宿ロフトがいいんじゃないですか”みたいな感じで、場所は移転してますけど。そういう順番でした。
──第一期から順番にやるというエンターテインメント的な演出があって、僕らBUSTERSとしては上ケンさんともう一度ステージに立つというのが結構衝撃で。最初に上田さんにthe pillowsでの出演をオファーしたときはどんな反応だったのですか。
事務所から事務所への依頼だったので直接しゃべってはないけど、ものすごい喜んでくれたと聞きましたよ。
──あの頃の曲をこの4人で演るというのはスタジオでのリハーサルとか曲を決めたりするやりとりはどんな感じだったのですか。
オレが一方的に“これをやりたい”って選曲をして。なにせ上ケンさんの方はthe pillowsとしてステージに立つのは22年ぶりで、だけどこっちはずっとthe pillowsやってるから、the pillowsのお客さんがどうなのかは僕が把握してる。演って盛り上がった方がいいので、「WANT TO SLEEP FOR」とか「サリバンになりたい」とか「ぼくはかけら」、「巴里の女性マリー」とか今でも伝わるよって思うし、上ケンさんの曲もやりたいじゃない。なのでそんなバランスをみて“これで行きましょう”って。上ケンさんもあくまでthe pillowsのアニバーサリー・イヤーで、the pillowsは山中がリーダーで動いているバンドだからっていうスタンスで、“どうしたらいいの?”みたいな感じで何か意見を強く言うみたいな感じでは全然なかった。
──実際スタジオに入って、ロフトで披露するまで、当時のことを思い出したことなどありましたか。
そんなにリハの回数やってないので、もうちょっと自分に必死だったかも。まったく演ってない曲も何曲もあったので、ギターと歌詞を間違えないようにっていう(笑)。
あとシンちゃん(佐藤シンイチロウ)が一回目のリハで全然覚えてない状態で来たからびっくりしたけど(笑)。ただthe pillowsはいつもリハーサルは割とみんなテンションが低くて、僕が何かくだらないことをだらだらしゃべってまわりが笑ったりしてるっていう感じが多いんですよ。でも上ケンさんはしゃべりうまいし面白い人なので、上ケンさんがなにかぽろぽろオモロいことをぶっこんでくるからそれでみんな笑ってて(笑)。それはちょっと新鮮だったかな。“そうだ、こういう感じだったな”っていう。
結成した当時、第一期の頃は全然(メンバー同士の)関係性は違って、多分自分のキャラクターも違って、スタジオでおとなしくしてたと思うから。“そうだ、上田さんよくこういう面白いこと言って笑わせてたな”と思った。それからシンちゃんのリハーサルでのドラムの音の小ささに驚愕してたけど(笑)。やっぱり22年経つ間にシンちゃんは省エネで叩くようになったから、本番よりもさらに小さいから、“音ちっちぇえな、日本で一番ちっちぇえ”とか独り言をずっと言ってた(笑)
──シンちゃんと上ケンさんは(KENZI & THE TRIPSで)さわおさんとthe pillowsを結成する前から一緒にやってたリズム隊じゃないですか。当時と全然違うくらい省エネなんですね(笑)。
もう全然違う(笑)。すんげえ省エネ。そして本番よりも小さいから。Theピーズもやってるじゃない。いろいろ年齢的にさ、そういうのも必要だと思う。
──そして第二期は東名阪でスタンディングじゃなく椅子のあるホールでやりましたね。
椅子のあるホールは初めてかな、自らやるのは。なんかのイベントとか出たことくらいはあるけど、基本は初めてですよね。
──そしてカミナリグモのghomaちゃん(成瀬篤志)も入って衣装もスーツをビシッと着て、マイクの形もいつもと違ったりと第二期ならではの演出でしたけど、選曲やリハーサル、ghomaちゃんという新たなプレイヤーが入ったことで何か思い出されることはありますか。
ghomaちゃんはどういうプレイヤーかよく知っているので、すごい安心感のある、後輩だけど頼もしいプレイヤーだから、すんなりスタジオは進んだ。どっちかと言うとghomaちゃんにいろいろ訊いてたかな。昔の自分の曲はどういうコードになってるのかわからないところが山ほどあって(笑)。なんせ鹿島(達也)さんの時代でジャズとかソウルの人だからちょっとルールが違って。オレが知らないルールがいっぱいあるから、“このコードでこのベース鳴ってるけどギターのコードは多分こうだよな”とか。そういうこと訊いてパッと判断できる能力がghomaちゃんはすごく高いので、“ghomaちゃん、コードどうなってんの?”ってなぜかオレがghomaちゃんに訊くという、よくわかんない現象が(笑)。とにかくキーも高いしメロディも難しいしギターも難しいし。さすがに第二期の最初の方のリハはシンイチロウくんも下手だったね。シンちゃんが下手なことなんてまあ見たことないんだけど、結構できなかった。その頃“第二期演りたくない、無理だよ”って言ってて。謙遜かと思ったらホントにできなかった(笑)。うまい下手っていうよりやってないことっていうのはできなくなるんだなって、スタイルから抜けちゃったものは。ジャズの素晴らしいドラマーがヘビメタとかハードコア叩けないのと一緒で。スタイルがあるからね、プレイ・スタイルが。その第二期の頃はヒマだったからさぁ、オレたち(笑)。やたらリハしてたからね。
──その頃、上ケンさんが脱退して鹿島さんの音楽的ルーツに影響を受けながらも、基本的に今と同じようにさわおさんが曲を作ってみんなでスタジオでアレンジしていくというやり方だったんですよね。やはりしばらくやらないとスタイルから抜けてしまうものなんですね。
抜けちゃうもんだね...。うーん、逆に真鍋(吉明)くんは最初のリハからガッチリ仕上がってきたから、相当予習を、予習と言うのか復習と言うのかわかんないけど、相当やったんだと思ったし、“向いてるな!”と思った、第二期とか。
──(鈴木)淳さんもその頃在籍していない訳だから最初から練習する訳ですしね。
ただ淳は“大体の解釈でいい”と伝えた。なにせ人が違うから。“その曲のアレンジ上の持ち味を生かしてくれれば同じことをする必要はない”というのを先に伝えたし、本人も“いや、やれと言われてもできない”って言ってた。
──その5人で実際に封印を解いて演奏したステージはどうでしたか。
もう演んないね(笑)。楽しむ余裕はあんまり無かったな。必死ですよ。